2024/11/01 19:38
日々お疲れ様です、長岡です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
毎日ブログを更新していると、新しいこと何かできないかなと思いまして。
今回は休憩と言いますか、いつもと変わった番外編やコラムのようなコーナーを作りたいと。
そこで、私ごとではありますが、少し自分語りをさせていただいたり生地のことについて書いてあり、
いつもとは違う雰囲気のブログを作りたいと思います。
11月に入ったのでね。
今回は私がどのようにしてClique Tokyoで働くことになったかについて、少し掘ってお話しようかと。
一番最初のブログで少し入社の経緯やスタッフたちとの出会いについて触れさせていただいておりましたが、
オーナー西坂と出会った頃についてお話させていただきます。
元々私はハウスメーカーに新卒で入社し、そこでリフォームコーディネーターと言う仕事をやっておりました。
かっこよく言えばこうなんですが、要はルート営業で持ってる担当エリアのお客様のお住まいのあれこれを解決するお仕事。
リフォームといえば外壁塗装工事や改築など、イメージとしてはキラキラしてそうなんですが、現実は小さいお困りごと解決屋さんとして
24時間365日の対応に追われると言うもので、流石に深夜に連絡が来るとかはなかったですが、休みの日にゆっくり寝ている間にお客様から
連絡が入り、出れなければ上司に注意されるといったなかなかの状況でした。
そんな生活を繰り返していると精神が崩れ、真っ白になった頭で考えたことは、「好きなことを仕事にしよう」
一緒に洋服巡りをした友達に服を勧めるのが好きだったからというのが理由です。とは言っても大したスキルや資格を得て大学を卒業したわけでもない自分が出来ることは、人と会話することはいささか得意だと思っていたので、アパレル販売員をやろうと言った考えでした。
そこで当時仲が良かったセレクトショップのスタッフに「アパレルで働くわ!!」って何気なく連絡すると、「ウチで働いてみないか」と言うお話をもらい、そのまま話を進めて働かせていただくことになりました。
しかしまだその時はリフォームの方を退職しているわけではなく、そこの休みの日に入ると言う形を取り、完全にフルタイムで働くのは退職後という契約(?)でした。
地域周辺でも有名なお店だったので、そこで働かせていただくだけでもありがたいという気持ちから、
給料面の話を全面に委ねていましたが、今思えばこれがまずかった。
同じタイミングで私より3歳下のイケメンが入ってきていたのですが、この子は大学4年生でもうほとんど単位を取り終わっている関係で
ほぼフルタイムでは入り、給料も出たのですが、私はいろんな話し合いの中で”お手伝いのような”という言い方をしていたからか、
本当にただの手伝いとしてスタッフたちやオーナー家族から認識されており、私に払われる給料は無いという結果に。
それでも、有名なブランドを数多く取り扱い、展示会やバイイングにはスタッフ自らが赴き、自らが買い付けるという経験が眩しく、
資格や経験を何も持っていない自分は仕方がないと思って、その条件を飲んでいました。
そして働き始めてすぐ、kujaku21-22AWの展示受注会が行われ、そこで出張に来た西坂と出会いました。
そこで直感的に、選んだ道が間違ってなかったと思ったんですよね。
いつもは対して自信がないくせにこういう時だけ頑固な私は、この直感が正しいと信じてやまなかった。
それから少ししてハウスメーカーを退職。完全にアパレルで働けると思っていましたが、違った。
店舗の売上が異常に芳しくなく、私の分の給料は払えないという結論に。
給料が欲しいなら売り上げを作ってからにしろと怒られるほどでした。
それでも。その時の私には続けるしかなかったので、学生時代に働いていた会員制のバーの店長に相談し、平日5日をそこで働かせていただくことになり、土日の2日をその店で働くことにしました。
別に給料は高くはなかったですがなんとか生きていけていた。
これでとりあえず無給でも店舗に立てる。そう思っていましたが、次の問題は、どうやって売上を作るか。
オーナーの話通りなら、売上を確立すれば報酬が出るという簡単そうに聞こえるこの文章が本当にむずかしかった。
当時私は実はデザイナーズブランドというのをほとんどかったことがなく、持っている洋服の山の9割は古着でした。
それもブランド古着などではなく、いわゆるヴィンテージがどうとかの古着。
全身古臭い格好している男が、週2日しか立たず、土日の店舗の販売員は店長を含めた合計4人。
これだけでも大変そうに感じますが、根本的に大きな問題がありました。コロナウイルスによる感染爆発です。
世界中を震撼させたこの細菌の影響は著しく、外出する機会を、なんなら意味をなくしてしまうほど。
そんな状況下により、土日にいらっしゃるお客様の数も多くて3.4組。しかも入社前からいたスタッフや、私より多い出勤日数の同期
の顧客様がほとんど。到底売上なんか作れませんでした。
そんなかでもなんとか力をつけてやると思い、いろんな人に相談したり、当時東京でカリスマ販売員と呼ばれていた人をディグっては
インスタグラムをフォローして、ファン作りはどうすればできるのか、どうやったら洋服を購入いただけるのか、毎日毎分模索しておりました。
そんななか相談していた相手の一人が、オーナー西坂です。
ただでさえクソ忙しいのに深夜でも電話に進路相談に乗ってくれていた。あざす〜〜。
あととにかく服買いまくりました。唯一与えられた福利厚生が社販機能だったので、クローゼットの中身を総入れ替えするかの如く
服を買いまくった。よく買っていたのはJOHN LAWRENCE SULLIVANでしたね。でも途中からkujaku狂になり、1ヶ月で7着kujakuを
買った月もありました。今思えば本当に狂っていたと思う。
あと展示会出張以外でも個人的に東京に赴き、福岡では見ることができない服や建築を見たり、Cliqueに来ては西坂と朝まで飲んでいました。あ、この展示会出張を行くようになってから、広瀬とも話すようになりましたね。
とにかくお金に糸目をつけず、経験や時間にお金を払いまくってました。当然持っているクレジットカードはパンパン。
でもやっぱりなんだかんだ給料は出なかったんですよね結局。というのも、出勤日数やコロナもあり、
”他スタッフの担当のお客様と仲良く話が出来るやつ”くらいにしかなれなくて、やっぱり大した売上を作ることは出来ませんでした。
そういえば、一番最初に商品が売れた時のことは、未だに覚えています。
私を誘ってくれたスタッフとの共通の親友が、財布を新調したいということで、当時曲なりに自分で作った、ミニウォレットのリール?みたいな動画を投稿したのですが、その動画をきっかけでお店に来てくれて、結果買ってくれました。¥25,300-でした。
リフォームの営業をしていた頃は全体塗装工事200万円みたいな金額の感覚でしたが、それでもこの¥25,300-という金額が
私にとって忘れることのできない感覚を与えてくれた。友人ではありましたが、初めて目の前のお客様が自分の提案に
お金を払って、商品を買ってくださった。ハリーに靴下をもらった屋敷僕のドビーのように喜びました。
その日、先輩スタッフとビールを買って公園で飲んで祝ってもらったのも覚えています。
と、いったん今回はここまで!
次の寄り道編で完結にします!!笑
最後に私の自分の誕生日に自分へのご褒美で買った【The Viridi-anne(ザヴィリディアン)】の
スウェットセットアップの写真を載せて終了とします。
続きが気になる!と少しでも思っていただければ嬉しいな。マジで。
hoodie / The Viridi-anne
pants / The Viridi-anne
shoes / 11 BY BORIS BIDJAN SABERI
最後までご覧いただきありがとうございました。
次のブログも是非お付き合いくださいまし。
長岡
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【The Viridi-anne(ザヴィリディアン)ブーツ愛は”機能”を捨てない】
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